サボテン
近所にサボテンを育てているお家がある。それもすごい数のサボテンがプランターにいくつもぽこぽこと。それがかわいくてかわいくて、いつもみとれちゃう。今はマスクをしていてわかりずらいが、そのサボテンたちの前を通るとにやにやしている。完全に怪しい人だがわかるまい。
別に触ったり、写メしたりなどしないが、ぴょこっとぬくっと土から顔を出し、「こんにちは!」と元気よくいつも変わらぬ顔でいる。堂々としているところも好感持てる。しかも、棘。この刺々しさが、サボテンを守ろうという強い意志を感じられる。サボテンに寄生し、サボテンを愛し、サボテンに一生ついていく。その刺々しさが、とんがった強さではなく、包み込むような強さがひしひしと感じられる。強さを身にまとっているのは、最大の武器といえよう。あ、ちがう。最大の防御か。
そう、なにはともあれ、サボテンは強いのだ。
砂漠の上でも、雨の中でも、風にあおられても、地震が起きても、土から離れない。棘も離れない。これほど屈強な植物はいるだろうか。この猛々しさは猛者といえよう。
しかし、その頑固とした強さと相反し、愛らしさも含まれるこの植物はなんなのだ。不思議である。猛者であり、子供のような愛らしさ。キャラクター愛と似ている。フォルムがいけないのだ。そのプランターからぴょこんと飛び出す可愛さ、そして健気さ。……あ、そうか、健気さが肝なのだ。
健気さというのは、強さや誠心や純粋さや愛嬌の中に相まみえる、その後ろ姿のさみしさにみえる感情だ(わたしがおもうに)。
そうか……強さの背中には健気さがあるから、愛らしいとおもえるのか……。ふむふむ。
それを支える棘と言うのも立派だな。一生くっついていく、というのは考えようにもよれば、立派なヒモといえる。現代でいう、誰かに養ってもらえる、というもの。
いや、でも、ヒモとも言い切れん。サボテンが直立不動でどんな屈強な男であろうが、筋肉モリモリマッチョマンが立ちふさがろうが、野性の犬相手でも、一歩も引けを取らない。それを支えるどころか守ろうと年中、365日、360度全方向から守っている棘にヒモなんて当てはめてはいかん。いかんぞ、これは。誠心誠意、ご奉仕どころかご褒美をやらねばいかんことは確かだ。
ご褒美……ね。そうだな、守っている褒美だ。
サボテンの棘にご褒美とやらをあげるとしてもなんだ。なにがいい。
まさか表彰状を送ったとしても受け取ってはもらえないだろうし、むりやり受け取らせても棘々で表彰状が穴だらけになってしまう。それはそれで綻ばしいことなのか。もしかして照れてどんなものでも突き刺してしまう性質だろうか。わたしを敵だと勘違いしているのだろうか。わからん。わからんぞ、サボテンたち。棘たちめ。
いやでも、純粋に考えて、植物なのだから水が必要だろう。砂漠の上でも生きられるサボテンだから水が必要かはわからないが、それでも天からの恵みは受け入れるはずだ。そうだ、それでいこう。
雨が降りますように。干からびないように、枯れないように家主の方、ちゃんと最後まで育ててくれますように。余計なお世話にならないように、わたしは散歩のとき見守ってます。
以前、棘のことに関しては「ハリネズミ」のことや「マキビシ」のことで触れた記事を書いた気がする。そして今度はサボテン…と。なんだ。わたしは棘が好きだったのか。棘フェチだったのか。新たな発見と、誰にも共感できなさそうなフェチを開拓したところで、なんになろう。ただただひっそりと、またご近所さんの散歩に行き、マスクの下でにやにやと笑いながら通り過ぎることしかできない。変に撫でたり、水をあげたりしたら通報されてしまいそう……。*わたしは不審者ではないです。
寝顔
寝顔とはなぜこうもしあわせそうなんだろう。
愛犬の寝顔を見てふとおもう。
なぜだ。皺が寄ってないからか。口元が緩みっぱなしだからか。眉間にも力が入らないからか。そして、なぜこうも子供っぽいのか。
みながみな、少年少女のような、無垢な寝顔なのか。
そんなにレム睡眠、ノンレム睡眠に傾倒しすぎている証拠なのだろう。そんなに夢心地がいいのだろう。
綿棒でも鼻に突っ込んでみたら、どういう反応をするんだ。怖くてやったことないが、せっかく寝ているのに起こしたら失礼だから今まで挑戦せずにいた。幸せ顔がいっぺんに鬼の形相になること間違いなしだからだ。たぶんこれからも挑戦せずに過ごすことでしょう。
じっと、愛犬の寝顔を盗み見るが、耳がぴくぴく動いたり、たまに寝言?を言ったり、寝息もよく聞こえる。くうくう、すうすう。くうくう、すうすう。まるで本当に人間のような寝相だ。
寝言を言っていると、なんの夢を見ているんだろう。どんな楽しい夢なんだろうか。と、こっちまでしあわせになってくる。それが寝顔(寝言・寝相)というものだろう。
自分の寝顔は見たくもないし、知りたくもないが、一番無防備な姿をさらしていることは確かだ。そして、一番締まりのない顔をしていることだろう。
にやにやしていて笑っていたらどうしよう、物騒なことをぶつぶつつぶやいていたら危ない奴と思われてしまう。あわや「火事だー!」なんて寝言を大声で言っていたら、まわり近所にご迷惑をおかけしているのでは……。
自分の寝顔、寝相はさておき、人様の寝顔を見るのは好きだ。犬であっても、猫であっても、サルや羊や馬やライオンであっても。そのときばかりはシャッターチャンスと写メを撮ってしまう。(人間にたいしてはやりませんよ。プライバシーは配慮しています)。
それはわたしの本能か、母性本能か。
守りたい、ああ、かわいい。か弱いとは、まさにこのこと。
無防備だからこそ守ってあげたいのか、とおもう。無防備じゃなかったら、ライオンは守れない。むしろ食われそう。そろりそろりと近寄って、寝顔だけ撮ったら、一目散に逃げる。人は(わたしは)無防備さに弱いのだ。そのときだけ守りたい、とおもうのは傲慢だろうか。
気になる時だけ手を出す、気分屋なのかもしれない。それ、よく昔っから言われてたなあ……。こういうときだけ思い出す、自分の性格が今になってしみじみと身に染みる。
愛犬の寝顔、これはずっと皺が寄らないように守っていきたい。
最近のイラストはすごい
最近漫画を読むことが多く、そのどれもが美しい絵柄で感嘆する。なんでこんなにかっこいい男が描けるのか。こんなにかわいい女の子がどうして色っぽくも描けるのか。不思議で不思議でたまらない。何度鉛筆を滑らせればこんなに良く描けるのだろう。最後にわたしが描いた絵は、一か月くらい前だ。
その出来栄えは……あまり。
特に、男の胸板、腕の筋肉質さ、首筋の男らしさ、全体のバランス。それのどれをとっても、彫刻刀で掘ったような多少のごつごつさがたまらん。TL漫画やBL漫画に登場するような男性がいい。あんまり吐露しすぎてもみんなが引いてしまうのでこれ以上は言うまいが、いいなあ、いいなあ、その程度にしとかなければ。
わたしが好みなのはマッチョすぎず、なよなよすぎず。細マッチョがいいですね、ずばり。
それを公言するのは憚られるので、いま言います。細マッチョがいいです。
昔はよくやったのだが、雑誌を買ってきて、その描きたいイラストの上に薄紙を敷いて、うっすらと浮かぶ線を頼りにイラストを真似るという手法。簡単にできて、自分で上手く描けたという達成感も得られ、非常に満足したが、さてどうやってモノにしていくかということで大いに悩んだ。
何度も何度も挑戦し、ああ失敗したと言ってはまた挑戦していく。消しゴムが減っていったのがなつかしい。
今は時が経ち、それすらの余力も残っていないが、いまだにイラストが上手いひとがうらやましい。
最近はさらに進んで、パソコンによる絵描きなるものや色付けもさまざまな手法もあるらしい。機械音痴のわたしにはまったくもってついていけない世界。
余談だが、こういうとき、時代の流れに逆行しているという雰囲気を、身をもって知ってしまう。現金主義のわたしは取り残されるのか。キャッシュレスの時代に逆らっているのか———などなど、そうはいってもどうしようもなく、取り残されたら置いてかれるだけなのでまあいいが、そのイラストをじっくりと何度も何度も見ては眺めて、ぽーっと呆けてしまうのはもはや癖なのだろうか。性癖なのだろうか。頬が緩みっぱなしなのも性癖なのだろう。そうおもうことにする。
と、ここで、本題に戻って……、
イラストでも、ネットの世界にはごろごろ転がっている。
「イラスト かっこいい」などで検索するとわんさか、大量の画像が出てくる。それらを眺め、気に入れば保存してしまう。
かっこいいなあ。ああ、この手の描き方はどう描いているんだろう。ほうほう、こうやって描けばいいのね。たぶんこっちから描いたら描きやすいかも。なんて、自分の都合のいいように解釈しては、研究?して、描けそうだなとおもったときは実際に紙とペンを用意して描いてみたりする。真似するのは割と得意なので、案外すらすらと描ける。だが根気が続かない。色なんかもっと苦手だ。イラストや絵画などは小中学生のときはさんざん描かされたが、色付けだけは苦手だった。鉛筆で書く、モノクロが得意だった(鉛筆で描く陰は得意)。色合いというか、グラデーションとか色彩感覚がよくわからなかった。
とまあ、わたしの苦手意識を並べたが回復の兆しは見えないので、イラストのかっこよさにまた戻ろう。
イラストの上手い人はどうやってそのセンスを磨いているのだろう。
わたしと同じように薄紙でなぞって真似て……というのが定石だろう。最初は真似る。何事に関してもそれが手っ取り早いことは確かだ。そして十分に真似たら、自分の持ち味を生かしたり、アレンジを加えたりして、自分風に確立していく。たぶん、ほとんどの人がその流れであろう。
それを生かし切っている人たちがイラストレーターと呼ばれている人たちなのだろうな。
イラストといっても、風景とか主に描いているひと。ロゴだったりゆるキャラっぽいタッチの人だっている。そのひとたちが仕事として成り立つのはそうとう大変だったんだろう。
しかし、そのイラストの世界にわたしは飛び込んでみたいとおもうことはある。
イラストの世界、というと正直ちがうが、イラストのVRの世界、とでもいおうか。
ゴーグルのようなものを目につけ、自分が仮想世界にいるような体験。みんなそのような世界が体験できるのは知っているとおもう。それが漫画の(イラストの)世界に入り込みたいのだ。危ないやつとおもってもいい。
最近でいう、異世界転生ものというやつを疑似体験してみたい。
漫画の世界はどのような感覚なのだろう。昔、パソコンでBLのゲームをやったことあるが、そういうのでいい。そういうのがいい。それがもっと身近に、より立体的に、視覚的に興奮して、声も直接イヤホンから……。
それができたらすごい世界なのではないか。うはうはなのではないか。
全国の女子、あるいは男子は狂喜乱舞ではないか。漫画、ゲーム、それぞれの体験をできる。ドキドキハラハラ、危ないものも、スリルも満点。VR業界は黒字最高潮。
だがその点、危険なのも確か。
現実との見境、臨死体験、トラウマ、喪失感、現実に戻ってこれなくなる……などなど、問題点がいっぱいだ。脳で全部を背負ってしまうのは、自分一人の人生ではないからだ。ゲームの主人公の人生、漫画の主人公の人生、そして本来の自分の人生、それらをすべて負うことになる。脳がパンクするであろう。
いま、そのようなゲームや漫画のVRがあったら、一度や二度はしてみたいとおもうが、あまりにも負担が多すぎたら断念せざるを得ないだろう。(のめりこみすぎなければいいのだろうが)。
そのような未来があったら、わたしの時代の取り残しは解消されるのだろうか。取り残されようが構わない、そんな信念を持ち続けているのだろうか。
うん、そうだ。イラストはイラストのままで、ゲームはゲーム、漫画は漫画で楽しんでおこう。そうしとこう。
イラストのかっこいい男がいたらなあ、とはおもうものの、理想は理想のままのほうが楽しいのかもしれない。胸板や腹筋は、イラストのほうがいつでも見れる。いつでも脱いでもら……(すみません。妄想が止まらない)
なにより、現実の自分の人生で手一杯です。大変です。
※妄想女のひとり言として本文をお楽しみください。
(ネットだから言えることです)
洗濯物はたくましい
毎日ではないけれど、洗濯物はたまにします。
なんでこんなに溜まるのだろうと不思議に思います。そう思いながらも洗濯機を回します。
自分の洗濯物や他の家の洗濯物を見て、
「ああ、干されてるなー」
と、のどかな気持ちにさせられます。
わたしも干されてみたい…。
実際、布団とともに干されたこともあります。
なつかしい思い出。
そんな思いを呼び起こす洗濯物ですが、いたって本人たちは真面目です。
いや、真面目と言うか一種の刑罰のようにも思えます。
なんせ、洗濯物の立場から考えると———、
洗濯機に入れられ、上からいろんな洋服やなんかを詰め込まれ、圧迫され、水や洗剤で殺菌され、ぶん回され、終わったかと思ったら、ハンガーに吊るされて日干しされる。
一連の苦行を並べてみましょう。
①洗濯機の狭く暗いところに閉じ込められる刑。
②上から他の洗濯物が詰め込まれる、圧迫の刑。
③水と洗剤で殺菌の刑。
④洗濯機の遠心分離力を味わう刑。
⑤ハンガーに吊るされ、水分を含んだ重力に耐える刑。
⑥洗濯ばさみの強烈な痛みに耐える刑。
⑦日干しされる日光地獄の刑。
⑧風圧にも負けられない刑。
と、思いつく限り考えてみました。
他にもなにか思いついたら教えてください。
そういうわけで、洗濯物は常に8コの刑にさらされているわけです。
なんと我慢強い、なんという苦行でしょう。
わたしなら耐えられない。
そんなことを考えながら、今日も洗濯物を干してきました。
———ああ、そうだ。ひとつ忘れてました。
番外編として、洗濯物を取り込み忘れたら雨にさらされる刑も追加しときます。
それでは、洗濯物たち、よく乾きますように。
ウサギと亀とわたし
童話にある「ウサギと亀」ってありますよね。
ウサギと亀がゴールを目指して、どちらが先にゴールするか勝負するやつ。
結局は亀が勝つのですけれど、それにむりやりわたしも参加してみます。
ウサギVS亀VSわたし。
さて、誰が一番でしょう。
「位置について…よーい、ホ~!」
審判であるフクロウ(勝手に登場)が叫びます。
その合図でウサギと亀が走り出します(いや、亀は走れないか…)。
わたしは即座にドラえもんを召喚させ(これも勝手に登場させます)、わたしをスモールライトで小さくしてもらいます。
それでウサギに飛び乗ります。
ウサギは軽やかです。だけど、あまりにも躍動し過ぎでつかまっているのに精一杯です。
そのうち一休みをして、後ろを振り返り、
「まだ追ってこないな———。よし、昼寝でもするか」
と居眠りをはじめます。
ウサギの背中にいたわたしは、
(やれやれ、ここで亀に抜かされるんだな…)
と物語の詳細を知っているわたしはウサギから離れます。
眠りこけているウサギの横でしばらく休んでいると、亀が通りかかります。
のろのろ、のろのろと。
亀が通り過ぎる直前、
———よし、いまだ!
わたしは今度は亀の背中に乗り込みます。亀は気づきません。
(ウサギの気分も亀の気分も味わえたわ…わたし)
そして、のろのろと亀はゴールテープを切りました。
一位は亀。
二位はウサギ。
亀には好物のイトミミズが献上されます。
わたしは棄権ということになり、これで勝負は終了しました。
———さすがにわたしは同着一位とはさせてもらえませんでした(あたりまえ)。
いやーでも、ウサギ側も亀側も体験させてもらって良い体験でした。
ウサギの油断大敵ぶり。
亀ののろのろさ加減。
目の前で見させてもらえるとは思いもよりませんでした。
またこういう勝負に参加してみたいです。
「ダメです。あなたはまたルール違反しそうですから」
審判のフクロウが睨んできました。
「ごめんなさい」
わたしは首を垂れます。
おしまい。
※みなさんもルール違反はダメですよ!
2種類の色気
唐突ですが、色気ってなんだろうっておもったことありませんか。
色気、ね…。
わたしにはそんなものは皆無です。
今まで一度も…生まれてこの方一度も言われたことありません。色気あるねえって。
色気よりも、わたしは———食い気です。
肥満です。どうしようもないほど太りました。
もうどうすればいいのか…。
ああ、いやいや、今はそのことじゃないです。色気の話でしたね。
ネットや掲示板なんかでたまに話題になったりもしますよね。そういう話。
色気とは出すものではなく、にじみ出てくるものだとか。
姿かたちで表せるものではなく、秘めた過去をまとわせるオーラだとか。
よくわかるようなわからないような。
峰不二子みたいな方だったら、
「わあ———なんだかすごいセクシー」
という色気がはっきりわかる。
ボンキュッボンという理想的な体型に、男を虜にするテクニックというか。
そういうのではなく、ふわんと漂う色気があるひといますよね。
中学時代の友達で、20歳のときの同窓会で久しぶりに会ったのですが、
「なんだろう———アンニュイな色気が…」
とぞわぞわ?した覚えがあります。
中学生のときは、わたしとそんなに変わらないような…わりと地味なグループにいたんですが、20歳でどうしてそうなった⁉
びっくりして声かけられませんでした。
いや、服装もべつに胸元開いたり、肌を露出していたわけでもないんです。
15~20までの間になにがあった?
そんな5年の間にこんなに変わるほど、なにか特殊なことでもあったのだろうか。
聞きたいような、でもなんだか気恥ずかしいような…。
結局、聞けませんでした。同い年なのに自分が成長していないようにおもえて。
色気ってなんだろう。
やっぱり辛いこと経験したこととか、なにかを失ったことがあるとか…。
そういうことなんでしょうか。
不思議ですよね、そういう色気を醸し出せるひとって。
タワシとマキビシ
またまたタワシが登場。
タワシって事欠きませんね。
さて今回は、タワシとマキビシです。
マキビシって普段日常では使いませんが(あたりまえ)、忍者の道具です。知っている方も多いとおもいます。
こういうのです。
追手が追いかけてこないように、マキビシをまき散らかして逃走するものですね。
たしかにこんなのがあったらとても追えない。足に刺さる!
それと同様、防御力にもなるのでは、とおもいます。
なにかというと———空き巣です。
空き巣対策にマキビシ。どうですか。
一般的にマキビシは売ってないので、タワシではどうでしょう。
タワシも踏んづけたら痛い。それは敵がやってこない=防御力となるのでは。
いいんじゃないでしょうか。
空き巣が入ってきそうな場所にタワシ。それも何個も連なって。
誤って踏まないようにしなければならないが…。
※危ないのでいい子は真似しないようにしましょう。