寝顔
寝顔とはなぜこうもしあわせそうなんだろう。
愛犬の寝顔を見てふとおもう。
なぜだ。皺が寄ってないからか。口元が緩みっぱなしだからか。眉間にも力が入らないからか。そして、なぜこうも子供っぽいのか。
みながみな、少年少女のような、無垢な寝顔なのか。
そんなにレム睡眠、ノンレム睡眠に傾倒しすぎている証拠なのだろう。そんなに夢心地がいいのだろう。
綿棒でも鼻に突っ込んでみたら、どういう反応をするんだ。怖くてやったことないが、せっかく寝ているのに起こしたら失礼だから今まで挑戦せずにいた。幸せ顔がいっぺんに鬼の形相になること間違いなしだからだ。たぶんこれからも挑戦せずに過ごすことでしょう。
じっと、愛犬の寝顔を盗み見るが、耳がぴくぴく動いたり、たまに寝言?を言ったり、寝息もよく聞こえる。くうくう、すうすう。くうくう、すうすう。まるで本当に人間のような寝相だ。
寝言を言っていると、なんの夢を見ているんだろう。どんな楽しい夢なんだろうか。と、こっちまでしあわせになってくる。それが寝顔(寝言・寝相)というものだろう。
自分の寝顔は見たくもないし、知りたくもないが、一番無防備な姿をさらしていることは確かだ。そして、一番締まりのない顔をしていることだろう。
にやにやしていて笑っていたらどうしよう、物騒なことをぶつぶつつぶやいていたら危ない奴と思われてしまう。あわや「火事だー!」なんて寝言を大声で言っていたら、まわり近所にご迷惑をおかけしているのでは……。
自分の寝顔、寝相はさておき、人様の寝顔を見るのは好きだ。犬であっても、猫であっても、サルや羊や馬やライオンであっても。そのときばかりはシャッターチャンスと写メを撮ってしまう。(人間にたいしてはやりませんよ。プライバシーは配慮しています)。
それはわたしの本能か、母性本能か。
守りたい、ああ、かわいい。か弱いとは、まさにこのこと。
無防備だからこそ守ってあげたいのか、とおもう。無防備じゃなかったら、ライオンは守れない。むしろ食われそう。そろりそろりと近寄って、寝顔だけ撮ったら、一目散に逃げる。人は(わたしは)無防備さに弱いのだ。そのときだけ守りたい、とおもうのは傲慢だろうか。
気になる時だけ手を出す、気分屋なのかもしれない。それ、よく昔っから言われてたなあ……。こういうときだけ思い出す、自分の性格が今になってしみじみと身に染みる。
愛犬の寝顔、これはずっと皺が寄らないように守っていきたい。